「駅伝の役割」
10月に入り、早くも駅伝シーズンに突入した。
私のイメージでは、駅伝といえば”冬のスポーツ”だった。駅伝のスタート直前にしか着たことないボアコートや、白い息を吐きながら走るあの感触こそが、駅伝を感じる瞬間だった。
しかし、最近ではもっぱら駅伝の開催が早くなり、今年は国体開催中に、関東大学女子駅伝や出雲駅伝が行われたことに、少し違和感を感じる。
「駅伝」は日本独特のレースである。
その証拠に、駅伝は海外でも”EKIDEN”と呼ばれている。日本で最も歴史の古い駅伝競走は、言わずと知れた箱根駅伝である。日本人初のオリンピック選手・金栗四三氏が、「マラソンの普及と世界と戦える長距離ランナーの育成」を願って開始された。女子は、全日本実業団女子駅伝と全国都道府県対抗女子駅伝がほぼ同時期に開催されたのが、最初の駅伝だと思われる。そしてその狙いもやはり、「女子マラソンの強化策と女子長距離ランナーの育成」に他ならない。
そして現在、駅伝はその目的をしっかりと全うしている。
昨年末に”駅伝がマラソンをダメにした”という本を読んだのだが、「素人さんはこんなふうに駅伝を見ているのか~」とある意味勉強になった。
しかし、この本を駅伝経験のあるマラソンランナーが書いたのではなくて良かった。もしそうであれば、そのランナーや、ランナーの指導者の質を問われ兼ねない。だって、そもそも「駅伝」の捉え方が間違っているのだから。
駅伝があるから、と言ってトラックレースを無下にするなんて発想は本末転倒だ。
「駅伝」は、マラソンや長距離トラックの強化策だということを忘れてはいけない。いまでは、中学、高校、大学、一般とすべての世代において、全国的な駅伝競走が行われている。いわば日本の長距離ランナーの”トレーニングレース”といえよう。
そしてそれは、「チームワーク」というランナーには忘れられがちだが、とっても重要なエキスによって、”プラスα”の力を発揮させてくれる。
この経験こそが、次年度のトラック・マラソンに活かされるのだ。
私自身も、「駅伝」によって成長したランナーの一人だと感じている。
だからこそ、これからも「駅伝」によって、たくさんのランナーが世界に羽ばたいてくれることを願っている。